鬼滅の刃の舞台である大正時代の食文化を調べてみた
こんにちは、蒼崎です。
今さらですが四月になって鬼滅の刃のアニメが始まりましたね。僕の住んでいる地域は余りにも深夜なので視聴するのはちょっと難しいですけども。
さて話は変わりますが、鬼滅の刃の作中には色々な食べ物が出てきますよね。うどんや天ぷら、歌舞伎揚げ、カステラ、そばなどなど。あ、あと鮭大根も。
読んでいるうちにこの大正時代の食文化ってどうなっているのかな?と思ったので今回調べてみました。
調べてみると意外なものがありましたね。
現代でも人気の洋食が広まる
庶民の間では「麦飯・漬物・魚の干物」の質素な食事がとられていましたが、都市部の外食を中心に大正の三大洋食のカレーライス、とんかつ、コロッケが広まりました。
三大洋食の他にはアイスやパン、コーヒー、紅茶、サイダー、ビールなどが普及しました。
炭治郎達がこれらを食べた時のリアクションを見てみたいですね。
カレーライス
当時はライスカレーと呼ばれていました。カレー自体は明治時代に既にありましたが、大衆に広まったのは大正時代からです。
明治の頃のカレーには海老、鯛、牡蠣、鶏肉、カエル、長ネギが入っていましたが、時が経て大正時代になると玉ねぎが長ネギの代わりに加わりジャガイモとニンジンが使われるようになり現在のような形になりました。
とんかつ
当時はポークカツレツと呼ばれていました。
とんかつもそれ自体は明治時代に存在してました。が、肉をソテーにするような炒め焼のような作り方をするとんかつは脂っこくてウケが悪かったですが、煉瓦亭の創業者である木田元次郎の手によってたっぷりの油でカラッと揚げる調理法が生まれました。
また刻んだキャベツの付け合わせも開発され、とんかつと刻みキャベツの組み合わせは煉瓦亭の名物になりました。
コロッケ
フランス料理のクロケットが語源のコロッケも大正時代に広まりました。広まった背景には帝国劇場や浅草の劇場の笑劇中で歌われた「コロッケの唄」があります。
炭治郎が浅草で無惨と邂逅していた裏で歌われていたんでしょうか。
当時はコロッケの方がとんかつよりも高価でしたが、関東大震災から安価になっていきました。
元ネタであるクロケットは肉や海老をホワイトソースで和えて小麦粉、溶き卵、パン粉を付けて揚げたものです。材料は違いますが作り方は似ていますね。
大正時代の飲食店
上流階級の間では当時は高級だったフルーツを出す喫茶店のフルーツパーラーが人気でした。
また、神戸、長崎、横浜の外国人居留地からコーヒーが広まり、各地にカフェが造られました。
さらにカフェよりも安くて庶民的なミルクホールもでき、学生たちの間で流行りました。
大正時代からの食糧品
現在知られている食料品には大正時代から続いているものがあります。それを軽くまとめてみました。
- 大正7年 森永ミルクチョコレート 発売
- 大正8年 カルピス 発売
- 大正10年 ブルドックソース 発売
- 大正11年 グリコのキャラメル 発売
- 大正11年 不二家のショートケーキ 発売
- 大正13年 浪速屋製菓 元祖柿の種 発売
- 大正14年 キューピーマヨネーズ 発売
- 大正15年 明治ミルクチョコレート 発売
カルピスやケーキが存在していたのは驚きました。
大正時代の食文化のまとめ
カルピスやショートケーキやチョコレートが大正時代に誕生していたのは意外でした。さらに明治時代には三ツ矢サイダーやトマトケチャップ(カゴメ)が発売されていたあので洋食って予想以上に早く進んでいたんだな、と。
あとはなんでか調べているうちに甘露寺さんは時代の洋食を網羅しているというイメージが生まれました。鬼滅の刃の時代は大正何年かは分からないんですけど実際していてもおかしくないと思うんですよ。